あらたなブログ 引きこもりの生活

対人恐怖症で引きこもっています。

部活なんて逃げちゃえ!

今週のお題「部活」

 

こんにちは、あらたなです。

今回は昨日の続きで中学時代の部活動について書いていきます。

前回の記事を読んでいない方はそちらから読んでみてください。

 

aratananews.hateblo.jp

 

 

中1の冬から完全に部活を休むようになりました。担任の先生も一応理解を示してくれて、部活を休んでいても何も言いませんでした。

 

2年生になってクラスと担任が変わっても変わらずに部活へは行きませんでした。部活には新入生も入ってきて私の事は気にしなくなってきました。

ようやく私は逃げ切ったと思いました。

 

ですがそれも長くは続きませんでした。

 

2年生の6月ごろから親や部活仲間から

「早く部活に行け(来い)!」

という目を向けられるようになりました。

 

学校側としても部活に行っていない数少ない生徒をどうにかしたかったみたいで、親と教師の両方に、ほぼ強制的に部活に連行されました。

一応形としては私から部活に行くと言いましたが、あの雰囲気は確実に命令の様でした。

 

こうして中2の夏頃からまたサッカー部に戻る事になりました。

 

 

ですが一年近く部活に行っていなかったので、私も他のメンバーもお互いにどう接したら良いかわかりません。新入部員達は尚更です。

それに休んでいる間は全くサッカーをしていませんでした。同級生どころか新入部員を合わせても断トツで1番下手でした。

 

そんな状況の部活が楽しいはずありません。それどころか1年生の時よりもよっぽど辛かったです。

ですが両親はもう一度逃げることを許してはくれませんでした。私を気遣っているつもりだったのでしょうが逆効果でした。

 

そして良くなり掛けていた生活もまた悪くなっていきました。

勉強も手に付かず成績は落ちていきました。友達といるのも楽しく無くなっていって、無理に笑う事が習慣でした。

 

そしてまた学校に行けなくなりました。中学2年の冬の事です。

 

実はその頃とある行事の実行委員をしていました。その頃はどうしても部活が辛くて、部活から逃げるために放課後も活動する必要のある実行委員に立候補しました。

 

あの時すごく後悔したことを覚えています。サッカー部から逃げたくて立候補しましたが本来私はそういうことをするタイプの人間ではありません。

しかも実行委員にはサッカー部の人が二人もいて、全くもって気が休まりませんでした。

 

そしてついに耐えきれなくなって学校を休みました。実行委員の仕事も全て投げ出しました。自分の仕事は最低限やり終えていましたが、当日の仕事はとあるクラスメイトに押し付けてしまいました。

 

実は私の仕事を押し付けてしまった人こそ当時私が好きだった人です。前回のブログの記事にも書いていた小学校の時から好きだった人です。

あの時彼が私の代わりをしたと聞いて、恥ずかしさや惨めさで一杯になりました。

そして何故かそれと同時に私の彼を好きだと思っていた気持ちも無くなりました。

よく分からないけれどあの時はびっくりするくらいにいつのまにか彼のことを普通の友達と認識していました。

 

 

その後1週間ほど休んだ私は学校に戻りました。ちょうど冬だったのでインフルエンザで学校を休んでいた扱いにしてくれました。実際に休んでいる間にインフルエンザにかかるというミラクルもあったので、一応嘘では無いです。

 

 

それからはまた部活に行かず、出来るだけ大人しく生活していました。部活動は無断欠席していましたが、正直言ってサッカー部にとって私は全くもって要らない存在なので特に何も言ってきませんでした。

 

両親は学校にさえ行けば何も言わなくなりました。中学3年生になれば受験もあるので部活の事よりも勉強の事を気にし始めます。

私は昔から勉強は得意な方で、特に苦労しなくても偏差値60位は取れます。

勉強が得意でなかった両親にとってはそれでも十分で、機嫌が良くなって少しは心に余裕が生まれてきました。

 

そして何より私が学校に行くことを頑張れたのは、ある1人の友達のおかげです。

 

その友達も当時部活動などの色々なことで悩んでいて不登校気味でした。それに彼とは家が近く昔からよく遊んでいました。

私にとっては小学校の1年生からの1番の友達でした。

 

そんな彼と毎日一緒に投稿するようになりました。私の方が朝に強かったので私が彼の家に迎えに行っていました。

担任の先生が調節してくれたのか、3年生では同じクラスにもなれてよく一緒にいました。

 

彼がどう思っていたかは分かりませんが、私は彼にかなり救われました。

 

こうしてなんとか過ごしているうちに3年生の夏が終わり、部活動も解散になりました。

私の長い逃亡生活も終わりを迎えたのです。

 

 

それからの学校生活は特に何も無く順調で、特に楽しいかった思い出はありませんが、嫌な事もそんなに無かったです。

サッカー部だった人達とも関わらなくなりました。中学を卒業してからは、仲良くなった1人以外とは全く連絡を取っていません。

 

 

こうして私の地獄のサッカー部は完全に終わりました。

 

サッカー部が終わった夏からもう5年も経ちます。今まで何度もあの時の事を思い出しました。ですが、今まで一度も

「サッカー部を続けていたら!」

と後悔した事はありません。私はサッカー部から逃げ続けて本当に良かったです。

 

それにサッカー部以外に入っていたらとも思いません。あの時は今考えてもその選択肢しか有りませんでした。あの時の私は全く悪くありません。

 

あの時悪かったのは学校の方針です。

部活強制な上に文化部は吹奏楽部と美術部のみ。しかも吹奏楽部は県内でも有名なくらい強くて、練習も運動部に負けないくらいキツイと言われていました。

美術部に入った男子はあまり良い目で見られません。実際ほとんど男子は入っていませんでした。それに美術部も活発に活動していて休む事は許されません。

 

これでは男子に逃げ場がありません。運動が嫌いな人に強制的を運動部に入れるなんて最悪です。人権侵害で訴えられれば良いのに!って思っていました。

 

 

 

高校は将棋部に入って、しかも完全に幽霊部員でした。部活というのはやりたい人だけやれば良いと思います。

 

この様な事があるので、部活動の強制を禁止するべきです!少なくとも幽霊部員が認められる部が無くてはなりません。

 

そしてもしも部活で苦しんでいるならば、潰れる前に逃げた方が良いです!

 

もし今辛い思いをしているならば、投げ出してしまうのも1つの手です。逃げ出す事での辛さも沢山ありますが、死にたくなる程ではありません。

部活ごときで死にたくなるのならば勝手に休んでしまいましょう。

 

 

書きたい事がたくさんあって長くなってしまいました。ですが自分の心の内をおもいっきり書けて少しスッキリとしています。

 

 

読んでくださりありがとうございました。